『届かない言葉』

この記事は約8分で読めます。
この記事にはプロモーションが含まれています

 夕焼けに染まる体育館の影が、校庭の端まで伸びていた。
 男子ハンドボール部の練習が終わる頃、悠斗は汗を拭いながら息を整える。

「お疲れー!」

 明るい声が響き、悠斗の背後から肩をポンと叩く手があった。
 振り向くと、圭吾がニヤリと笑って立っている。

「今日のシュート、ちょっとキレ悪かったんじゃない?」

「……うるせぇ、余計なお世話だ」

「ははっ、お前が疲れてると俺が目立つから楽しいけどな!」

 圭吾はふざけながらも、しっかりと悠斗の状態を見ている。
 悠斗はチームメイトとしての彼の気遣いを理解しつつ、素直に感謝を言うのは照れくさかった。

「つーか、お前さ、昼休みに菜月と何話してた?」

「……は?」

 悠斗はタオルで顔を拭きながら、圭吾の言葉に眉を寄せる。
 昼休み――確か、菜月に数学を教えてもらっていたはずだ。

「いやさ、菜月がめっちゃ真剣な顔して、お前に何か言ってたっぽいから」

「ああ……別に、大したことじゃねぇよ」

「ほんとに?」

 圭吾は腕を組み、じっと悠斗を見つめる。
 その顔は、単なる興味本位ではなく、何かを探るような鋭さを持っていた。

「……ったく、お前が気にするような話じゃねぇって」

「ふーん? ま、いいけどさ」

 圭吾は肩をすくめると、体育館の外に向かって歩き出した。
 悠斗も後を追う。

 部活終わりの夕暮れ。
 これが、いつも通りの帰り道のはずだった。

「悠斗、お疲れさま」

 校門の近くで、菜月の声がした。
 彼女は女子ハンドボール部の練習を終えたばかりで、髪を後ろでひとつにまとめながら悠斗を見つめていた。

「おう、お前もな」

 悠斗が軽く手を上げると、菜月は小さく笑った。

 圭吾はその様子を見て、面白そうに口元を緩める。

「お? これはもしや、待ち伏せってやつ?」

「は? 何言ってんの?」

 菜月が少しむっとした顔をすると、圭吾は「冗談だよ」と笑いながら手をひらひらと振った。

「でもさ、最近お前ら、めっちゃ一緒にいるよな」

「……別に、たまたまだろ」

 悠斗がそっけなく答えると、菜月はほんの少しだけ視線を落とした。

「……うん。たまたまだよ」

 その声が、どこか寂しげに聞こえたのは気のせいだろうか。

「おいおい、なんか俺、気まずくなってね?」

 圭吾が苦笑しながら後ろに下がると、菜月は「別に」と言いながら悠斗の方を見た。

「ねえ、悠斗。今日さ、ちょっと話したいことあるんだけど……いい?」

 悠斗は少し驚いたが、菜月の表情が真剣だったので、ふざけることなく頷いた。

「いいけど、ここじゃダメなのか?」

「……ううん。ちょっと歩かない?」

 圭吾は「あれ、俺はお呼びじゃない感じ?」と冗談めかしながら言ったが、悠斗は「たまには遠慮しろよ」と軽く笑った。

「へいへい、じゃあ俺は適当に帰るわ」

 そう言って、圭吾は手を振りながら校門の外へと歩いていった。

「さて、じゃあ……話って?」

 悠斗は改めて菜月を見る。
 彼女は少し考えるような素振りを見せた後、静かに口を開いた。

「……あのさ、私、悠斗に聞きたいことがあるんだけど……」

 彼女は一度言葉を切り、ほんの少しだけ視線を彷徨わせる。

 そして――。

「悠斗って……好きな人、いる?」

 その言葉に、悠斗は思わず息をのんだ。

(……また、これかよ)

 以前も、雨の日に同じようなことを聞かれた。
 そして――あのときも、悠斗は「いない」と嘘をついた。

 だが、今は――。

「……どうして?」

 悠斗が慎重に問い返すと、菜月は小さく息を吐き、どこか決意したような顔で言った。

「……もし、いるなら、ちゃんと教えてほしいなって思って」

 悠斗は、言葉を詰まらせた。

 それは、どういう意味なのか。
 ただの興味本位か、それとも――。

 その答えを出す前に、菜月はふっと笑った。

「……ごめんね、変なこと聞いて」

 そして、少しだけ寂しそうに目を伏せた。

 悠斗の胸の奥で、何かがちくりと痛んだ。

(本当は、もう決まってるんだよ)

 でも、それを言えば、何かが変わってしまう気がした。

 だから、悠斗はまた――。

「……いないよ」

 嘘をついた。

 その瞬間、菜月の表情が、ほんのわずかに陰った気がした。

「そっか……」

 菜月の声は、小さく掠れていた。

 
 帰り道、菜月が呟いたときの声が、悠斗の耳に残っていた。

 嘘をついた。

 本当は、いる。だけど、それを言ってしまったら、この距離感が変わってしまう気がして。

 それが怖かった。

 
 翌日、悠斗は圭吾と昼休みの教室で話していた。 

「なあ悠斗、お前最近なんかあった?」 

「……なんだよ、急に」 

「いやさ、なんかお前の様子、ちょっと変じゃね?」 

「変じゃねーよ」 

 悠斗はそう言いながら、なんとなく窓の外に目を向ける。すると、向こうの廊下で菜月の姿が見えた。女子の友達と談笑しながら歩いている。

 その笑顔は、いつもと同じだった。でも、昨日の帰り道で見せた表情がふと脳裏に浮かび、悠斗は目を逸らした。

「ほら、また何か考えてる顔してる」 

「してねぇよ」 

「いや、してるね。ズバリ、相原のことだな?」 

「……は?」 

 悠斗は反射的に睨みつけたが、圭吾はまったく怯まずニヤリと笑った。 

「お前さ、もうちょい分かりやすく隠せよ。昨日、校門のとこで話してただろ?」 

「……見てたのかよ」 

「まあな。で、何話してたんだ?」 

「……別に」 

「別に、ねえ……」 

 圭吾は腕を組み、じっと悠斗を見つめる。そして、ふっと真剣な表情になった。

「なあ悠斗、お前、本当は相原のこと好きなんじゃねえの?」 

「……は?」 

「だからさ、お前がどう思ってるのかって話だよ」 

「……関係ねぇだろ」 

「そう言うと思った」 

 圭吾は肩をすくめながら、悠斗の肩をポンと叩く。

「でもな、悠斗。俺はお前が気づいてないだけだと思うぜ?」 

「……何が」 

「お前、自分の気持ちもそうだけど、相原の気持ちも、ちゃんと見えてねぇだろ?」 

 その言葉に、悠斗は一瞬、言葉を失った。

(菜月の……気持ち?)

 そんなもの、考えたこともなかった。

 
 放課後、悠斗は部活の後、グラウンド横のベンチで座っていた。ふと、足音が近づく気配がする。

「悠斗?」 

 菜月だった。

「お疲れ」 

「おう……」 

 悠斗はなんとなく目を合わせられず、手元のペットボトルのキャップを開けたり閉めたりする。そんな彼の様子を見て、菜月は少し困ったように微笑んだ。

「ねえ、今日さ、私の試合……見てた?」 

「ああ……ちょっとだけ」 

 本当は、練習の合間に何度も目を向けていた。でも、そう言うのはなんだか恥ずかしくて、適当に誤魔化す。

「そっか。……どうだった?」 

「……まぁ、悪くなかったんじゃねぇの」 

 悠斗は視線をそらしながら答える。すると、菜月は小さく笑った。

「そっか。悠斗に褒められると、なんか嬉しいね」 

「……お前、俺のことなんだと思ってんだよ」 

「んー……チームメイト?」 

「それだけかよ」 

 悠斗が少し冗談めかして言うと、菜月はふっと黙った。そして、何かを迷うように視線を落とす。

 その沈黙が、やけに長く感じた。

「ねえ、悠斗……私ね、誰かを好きになるって、よく分からないんだ」 

 ぽつりと、菜月が呟く。悠斗は驚いて顔を上げた。

「……急にどうした」 

「分からないけど、最近ずっと考えてる。好きって、どういう気持ちなんだろうって」 

「……」 

 悠斗は、何も言えなかった。

 それは、まるで「答えを探してる」みたいな言葉だった。

 悠斗の胸の奥が、またちくりと痛む。

「それって……誰かに対して、そう思ってるってことか?」 

「うーん……そうかもしれないし、違うかもしれない」 

 菜月は、少し困ったように笑う。そして、悠斗の方をじっと見つめた。

「悠斗は、どう思う?」 

「俺?」 

「うん。悠斗は、好きな人、いるの?」 

 また、その質問。

 悠斗は息を詰まらせた。

 どうして、こんなに何度も聞いてくるんだろう。

 答えは、ずっと決まっているのに。

「……いないよ」 

 また、嘘をついた。

 菜月は、それを聞いて、小さく微笑んだ。

「そっか……」 

 その表情は、どこか寂しそうで、そして、ほんの少しだけ安心したようにも見えた。

「……そろそろ帰ろっか」 

「……ああ」 

 二人は並んで歩き出す。

 すれ違う気持ちを抱えたまま。

 それでも、並んで歩いているうちは、まだ大丈夫な気がした。

 
 翌日、悠斗が教室に入ると、すでに圭吾が席についていた。

「よっ、お前また相原と帰ったのか?」 

「……ああ」 

「そっか。で、何か進展した?」 

「……別に」 

「またまたー、嘘つけよ」 

 圭吾はふっと笑いながら、悠斗の背中を軽く叩く。そして、少しだけ真剣な表情になった。

「なあ悠斗、お前……いつまで誤魔化してるつもりだよ?」 

「……何がだよ」 

「もう気づいてるくせに」 

 悠斗は、何も言えなかった。

 気づいている。

 でも、言葉にするのが怖かった。

 言葉にしたら、戻れなくなる気がして。

 
 昼休み、悠斗が窓の外を眺めていると、菜月が教室に入ってきた。

「悠斗、今日の昼休み、一緒に食べない?」 

「ああ……いいけど」 

 悠斗は立ち上がりながら、ふと考えた。

 この距離感は、いつまで続くんだろう。

 言葉にしなければ、このままでいられるのかもしれない。

 でも――それで、本当にいいのか?

 
 悠斗は、菜月の笑顔を見つめながら、静かに息を飲んだ。


送信中です

×

※コメントは最大500文字、10回まで送信できます

送信中です送信しました!
error: Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました