
天音は、ウォーミングアップを終えてベンチに座っていた。
(今日こそ、試合に出たい……)
胸が高鳴る。
だけど、その感情とは裏腹に、不安も入り混じっていた。
コートでは、仲間たちが懸命にプレーしている。
その姿を見ながら、手をぎゅっと握りしめた。
(私は、この中で通用するのかな……)
ずっとベンチに座っていた時間が長い。
試合に出ても、何もできなかったら――
「天音!」
その迷いを断ち切るように、監督の声が飛んだ。
「行ってこい!」
「……!」
ついに、コートへ立つ時が来た。
「落ち着いて、莉央!」
チームメイトの優しい声が飛ぶ。
天音は大きく息を吸った。
(やるしかない!)
ボールを受け取り、相手ディフェンダーと対峙する。
目の前の相手が、やけに大きく感じた。
足が止まる。
(……どうしよう)
と、その時。
『視野を広げて! 相手の動きに惑わされないで!』
菜月の言葉が脳裏に浮かぶ。
(そうだ、ここで立ち止まっちゃダメ!)
一度、フェイントを入れ、相手の足が一瞬止まった隙に、一気にカットイン!
「いいよ、莉央!」
素早く味方へパスを出す。
その瞬間――
「シュート!!」
ボールがゴールネットを揺らした。
「ナイスアシスト、莉央!」
「今のよかったよ!」
(私……できた!)
天音は喜びで胸がいっぱいになった。
試合の流れに乗り、自信をつける。
(このままいく……!)
ボールを持ち、もう一度ディフェンスを抜こうとしたその時――
「っ!」
相手ディフェンスが予想以上に早く、バランスを崩した。
(マズい……!)
倒れそうになった瞬間、再び菜月の言葉が蘇る。
『焦らないで、状況を見て!』
(落ち着いて……!)
体勢を立て直し、フリーの味方を見つける。
素早くパスを送り、味方がシュート!
――ゴール!!
(私、変われてる……!)
残り時間が少なくなり、天音のチームは一点リードしていた。
(あと少し……!)
相手チームのプレスが厳しくなる。
そんな中、ボールが天音に回ってきた。
(私が決める……!)
ドリブルで前へ進むと、目の前にはディフェンダーが構えていた。
(ここで抜く……!)
菜月との練習を思い出し、フェイントを仕掛ける。
一度、左へ踏み込み、相手が反応した瞬間――
素早く右へ切り返した。
「っ!?」
相手のタイミングをズラし、抜き去ることに成功!
(やった……!)
ゴール前に向かうと、キーパーが前に出てきているのが見えた。
(この位置なら……!)
ふっと、菜月との練習の記憶が蘇る。
『キーパーが前に出てきたら、冷静に……』
そして、最後に菜月が言った言葉――
『頑張れ』
(信じて、打つ!)
天音は、一度ボールを手のひらで包み込むように持ち直すと、優しく押し出すようにシュートを放った。
ボールはふわりと浮かび上がり――
「っ……!」
キーパーの頭上を越え、ゴールネットを揺らした。
「ナイスシュート!!」
「莉央、すごい!!」
(やった……!)
天音の体が、歓喜の感覚に包まれた。
試合終了のホイッスルが鳴る。
天音のチームは僅差で勝利した。
ベンチからチームメイトが駆け寄り、歓声が上がる。
「莉央、最後のシュート最高だったよ!」
「フェイントも完璧だったね!」
天音の目には涙がにじんでいた。
(試合に出て、プレーして……こんなに嬉しいんだ)
そして――
「悠斗先輩! 菜月先輩!」
観客席を振り返る。
そこには、悠斗、圭吾、そして菜月がいた。
(見ててくれたんだ……!)
天音は勢いよく走り出した。
「天音、来るぞ!?」
「うわ、やべぇ……!」
悠斗と圭吾が身構える。
しかし――
天音が抱きついたのは……。
「菜月せんぱーーい!!」
「……え?」
「……は?」
悠斗と圭吾が同時に呆気に取られる。
「ん? どーなってんの???」
菜月は少し驚いたが、すぐに天音の頭を撫でた。
「莉央ちゃん、頑張ったね」
「はいっ! 菜月先輩のおかげです!」
菜月の胸に顔をうずめる天音。
一方、悠斗と圭吾はその光景をぽかんと眺めていた。
「……おい、悠斗」
「……なんだよ」
「お前、めっちゃ構えてたのに、抱きつかれたの菜月の方だったな」
「……うるせぇ」
悠斗は照れくさそうに視線を逸らした。
すると圭吾が、不思議そうに菜月と天音を見比べた。
「ていうかさ……」
「お前ら、そんなに仲良かったっけ?」
悠斗も同じ疑問を抱いていた。
「……なんか、いつの間にか”莉央ちゃん”って呼んでるし」
「お前ら、いつの間にそんな関係に!?」
「……え?」
天音は一瞬きょとんとし――
「……ふふっ」
菜月と顔を見合わせ、笑った。
「……おい悠斗、なんか思ってた流れと違くね?」
「……ああ」
悠斗は呆気に取られたまま、その光景を見つめていた。
すると一一
「菜月先輩、本当にありがとうございました!」
「ううん、莉央ちゃんが頑張ったからだよ」
「でも、菜月先輩が一緒に練習してくれなかったら、私はきっとこの試合で何もできなかったと思います……!」
天音の目は涙で潤んでいた。
「私、今まで試合に出られない自分が悔しくて、でも、どうすればいいかわからなくて……」
「うん」
「でも、菜月先輩が、昔の自分のことを話してくれた時、『私も変われるのかもしれない』って思えたんです」
天音の言葉に、菜月は少し微笑んだ。
(そうか……私が過去を話したことが、莉央ちゃんにとってのきっかけになったんだ)
「莉央ちゃん、頑張ったね」
「はいっ!」
「でも、これからが本番だよ」
「……え?」
「試合で活躍したら、それで終わりじゃない。もっと上を目指すなら、これからも努力し続けなきゃ」
「……!」
天音はハッとして、拳をぎゅっと握った。
「……私、まだまだ足りないです! だから、これからもお願いします!」
「うん、もちろん」
二人は拳を軽く合わせ、笑い合った。
そんな雰囲気をぶち壊すように、圭吾がヒュッと間に割り込んできた。
「お、なんだなんだ? これからもお願いします? それってもしや、菜月先輩との秘密の特訓をもっとやりたいってこと?」
「……まぁ、そういうことですけど」
「なるほどなぁ~、これは俺も参加しないといけない流れか?」
「いえ、大丈夫です」
「……え、即答?」
天音がにっこりと微笑む。
「圭吾先輩って、なんかふざけてばっかりなイメージなので……」
「ひどっ!? 俺、結構真面目にやる時はやるんだぞ!?」
「そうなんですか?」
「えっ、疑問形?」
圭吾は冗談っぽく肩をすくめた。
「ま、莉央ちゃんがそこまで言うなら、俺は遠くから見守ることにしよう……」
「ありがとうございます」
「お前、絶対感謝してないよね?」
「ふふっ」
天音は圭吾の言葉を軽く受け流しながら、菜月の方を向いて微笑んだ。
「じゃあ、また練習お願いしますね!」
「もちろん」
二人のやり取りを見て、圭吾は「チッ」とわざとらしく舌を打った。
「なんだよ、悠斗、俺たちの出番なしかよ」
「最初からねぇだろ」
「悠斗、なんかクールにしてるけど、本当はちょっと寂しいとか思ってない?」
「思ってねぇよ」
「ほんとぉ?」
「ほんとだ」
悠斗は圭吾の軽口を適当に流しながら、菜月と天音が並んで歩いていくのを眺めた。
二人の背中を見送りながら、ふっと小さく息を吐く。
(……強くなったな、天音)
菜月と並んで笑っている天音の姿を見て、悠斗は少しだけ口元を緩めた。
(俺も、負けてらんねぇな)
そう思いながら、悠斗はゆっくりと前を向いた。
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