『重なる距離』

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 放課後の教室には静かな時間が流れていた。

 クラスメイトのほとんどはすでに帰り、窓の外には沈みかけた夕陽が広がっている。

 悠斗は部活へ向かう前に、忘れ物を取りに教室へ戻った。扉を開けると――そこには菜月がいた。

 窓際の席に座り、頬杖をついたまま、ぼんやりと外を眺めている。

(なんだ、まだいたのか)

 彼女がこんなふうにひとりで残っているのは珍しい。

「……お前、何してんの?」

 何気なく声をかけると、菜月はゆっくりと振り返った。

「あ、悠斗。部活?」

「まぁな。お前は?」

「んー……ちょっと考え事」

 窓の外に目を戻したまま、菜月は短く答えた。

「……なんか、あったのか?」

 悠斗は何気なく尋ねる。菜月は少しだけ目を丸くし、それからふっと微笑んだ。

「別に。ただ、ちょっと考え事してただけ」

「考え事?」

「うん」

 菜月は椅子の背もたれに寄りかかりながら、空を見上げるように呟く。

「私って、どこまで頑張ればいいのかなって」

「……」

「ハンドボール、好きだから続けてるけど、どこまでいけるのかなって思う時があるんだ」

 悠斗は何も言わずに菜月を見つめた。

 彼女がこんなふうに悩む姿を見るのは、あまりない。

「……全国」

「え?」

 悠斗は窓の外を見ながら、静かに言った。

「お前、全国目指してるんじゃねぇの?」

「それはそうだけど……」

「なら、そこまで頑張ればいいんじゃね?」

 あまりにも単純な答え。

 けれど、悠斗の言葉はどこか迷いがなく、まっすぐだった。

「……悠斗は、そうやってすぐに答えを出せるよね」

 菜月は少しだけ笑う。

「すごいなって思うよ」

「別にすごくねぇよ。ただ、やるしかねぇってだけだ」

「ふふっ、ほんと単純」

「うるせぇ」

 二人の間に、ゆるやかな沈黙が流れる。

 窓の外を見ると、夕陽が沈みかけていた。オレンジ色の光が、教室の床を長く照らしている。

「……たまにはこういう時間も悪くないかもな」

 悠斗がぼそっと呟くと、菜月が少し驚いたように彼を見た。

「悠斗にしては珍しいね」

「たまには、って言っただけだ」

「そっか」

 菜月は小さく笑い、悠斗もそれ以上は何も言わなかった。

「そろそろ行くか」

「ん?」

「部活。お前もそろそろ帰るんだろ?」

「あー、うん……もうちょっとしたら」

 悠斗は立ち上がり、菜月の横を通り過ぎようとする。

 しかし、その瞬間――

「あっ……!」

 菜月が立ち上がろうとしたタイミングと重なり、二人の距離が一瞬近くなる。

(……近っ)

 悠斗は一瞬固まり、菜月も動きを止めた。

 お互い一瞬だけ目が合う。

「……ごめん」

「あ、ううん。こっちこそ」

 菜月が軽く後ろに下がり、距離を取る。

 特に何があったわけでもない。ただ、ほんの少し、意識してしまう瞬間だった。

 悠斗は軽く咳払いし、歩き出した。

「じゃあな」

「うん……あ、悠斗」

「ん?」

「今日、ありがとね」

 菜月は微笑みながら、軽く手を振った。

「別に、何もしてねぇけど」

「そうかな?」

「そうだよ」

「ふふっ」

 悠斗は軽くため息をつきながら、体育館へと向かった。

 だが、廊下を歩きながら、ふと菜月との距離の近さを思い出し、軽く頭を振る。

(……バカか、俺)

 それでも、ほんの少しだけ心臓が速くなっていたことに、気づかないふりをした。

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