
夜空に花火が咲いていた。
大きく広がった光がゆっくりと消えていく。
浴衣姿の人が行き交う、夏の夜。
祭りの賑やかさに包まれていたはずなのに、今は少しだけ静かだった。
さっきまで男友達と祭りを歩いていたが、偶然、彼女と女友達に出会い、なんとなくそのまま一緒に回ることになった。
けれど、気づけば周りにいたはずの友人たちは姿を消し、いつの間にか彼女と二人きりになっていた。
「はぐれた……?」
彼女がふと足を止める。
辺りを見回してみるけれど、もう人波に紛れてしまっている。
戻るにしても、この人混みじゃ見つけるのは難しそうだった。
「どうする?」
そう聞くと、彼女は小さく息をついた。
「……まあ、待ってればそのうち見つけてくれるかもね」
そう言って、少しだけ辺りを見回す。
「でも、この人混みじゃ、探すのも難しそう……」
そう呟いたあと、彼女は「少し歩こうか」と言ってゆっくり歩き出した。
つられて、自分も歩き出す。
祭りの喧騒を抜けた道は、驚くほど静かだった。
さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、風の音だけが聞こえる。
「……涼しいね」
彼女が呟いた。
そういえば、花火が終わった途端に風が変わった気がする。
昼間の暑さが嘘みたいに、少し肌寒いくらいだった。
隣を歩く彼女の浴衣の袖が揺れる。
祭りの灯りが遠ざかるにつれ、少しずつ静寂が広がっていく。
さっきまでいた場所が、どこか遠く感じる。
こんなふうに、二人きりで歩くのは初めてだった。
——妙に、心臓の音がうるさく感じる。
「……さっき、射的やってたよね?」
彼女が思い出したように言う。
「見てたの?」
「うん」
少し恥ずかしくなる。
結果は散々だったのに。
「すごく真剣な顔してた」
そう言って、彼女はふっと笑った。
狙った景品は取れなかった。
でも、こうして覚えていてくれたことが、少しだけ嬉しかった。
「何が欲しかったの?」
「……何でもよかった」
本当はそうじゃない。
でも、なんとなく言えなかった。
「そっか」
彼女はそれ以上何も聞かなかった。
静かな夜道。
このまま、もう少し歩いていたい気がした。
「……もう少し、ゆっくり歩こうか」
彼女のその言葉に、自然と足を緩めた。
どうして、こんなにも心が揺れるのか。
たぶん、答えはわかっている。
でも、それを言葉にするのは、もう少しだけ先にしたかった。
風が吹いた。
浴衣の袖がふわりと揺れる。
夜の静けさが、二人の距離をそっと包んでいた。
人混みの中では気づかなかった、夜の匂いがふっと鼻をかすめる。
ほんのりと、夏の終わりを感じさせるような、少し涼しい空気。
「……もう秋だね」
彼女が、ぽつりと呟いた。
「そうだな」
空を見上げる。
花火の煙が風に流され、すっかり夜の闇が戻っていた。
「夏って、あっという間に終わるよね」
「毎年そう思うけど、また来年も同じこと言うんだろうな」
「ふふ、たしかに」
彼女が小さく笑った。
それだけの会話なのに、なんとなく心が落ち着かない。
理由はわかっていた。
祭りの間は、たくさんの人がいたのに。
今は、この道に二人きり。
「さっき、ベビーカステラ買ってたよね?」
「うん」
袋の中に、まだ少し残っている。
歩きながら、何気なく手を伸ばして一つ口に入れる。
「美味しそう」
彼女がぼそっと呟いた。
なんとなく、袋を差し出してみる。
「いる?」
「えっ、いいの?」
「まだ余ってるし」
少しの間があってから、彼女が小さく手を伸ばした。
袋の端をそっとつまんで、迷うように一つだけ取る。
「……じゃあ、ひとつだけ」
口元に運びながら、嬉しそうに目を細めた。
「……美味しい」
そう言って、もう一度笑う。
その横顔を、ふと目で追った。
いつもは、少し遠くから見ているだけだった。
こんなふうに、近くで見ることなんてなかった。
なのに——
「……ん?」
彼女が不思議そうにこちらを見る。
しまった。
見すぎていたかもしれない。
「……いや、なんでもない」
慌てて視線を逸らし、適当に誤魔化す。
自分で思っていたよりも、ずっと意識してしまっていることに気づく。
たぶん、さっきの花火のせいだ。
そういうことにしておこう。
ゆっくりと、彼女が歩き出す。
「そろそろ戻ろうか」
「……そうだな」
今日が終わったら、きっとまたいつもの距離に戻るんだろう。
友達と一緒に笑って、何もなかったように。
きっと、来年も夏はあっという間に終わる。
また、同じように祭りに行くかもしれない。
そう思ったら、少しだけ——
この静かな時間が、名残惜しくなった。
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