
体育館の空気には、まだ今日の練習の熱が残っていた。
ハンドボール部のメンバーたちは、それぞれ荷物をまとめたり、ストレッチをしたり、談笑しながら帰り支度をしている。
そんな中、俺――悠斗は、いつものようにバッグを肩にかけながら出口へと向かっていた。
「悠斗、一緒に帰ろう」
振り返ると、菜月がいつも通りの自然な様子で立っていた。
これも、いつものこと。
「ああ、いいぞ」
当たり前のようにそう返した瞬間――
「あの二人って、いつも一緒に帰ってない?」
近くで話していた部員の声が耳に入った。
「もしかして、付き合ってる?」
――ゴホッ。
不意に咳き込んだ俺は、思わず菜月の顔を見た。
彼女は普段通りの表情をしているけど、ほんの一瞬、ピクリと肩が動いたのを見逃さなかった。
部員たちは悪気なくヒソヒソと話し続けている。
「まぁ、お似合いだしな」
「そろそろ正式にそういう関係になったりして」
「……っ」
なんか、すげぇ気まずい。
菜月と一緒に帰るのは別に普通のことなのに、そう言われると変に意識してしまう。
いやいや、俺が意識するのもおかしいだろ。
「な、なぁ圭吾」
唐突に、俺は近くで着替えていた圭吾に助けを求めた。
「お前も帰るだろ? 一緒に帰ろうぜ」
「え?」
圭吾は驚いたように俺を見たあと、ニヤッと笑う。
「いや、俺、今日は陽菜と二人っきりで仲良く帰るから無理だよ」
「は!? いやいや、何言ってんの!?」
振り返ると、陽菜が赤くなって抗議していた。
「仲良くじゃない!! 圭吾が勝手についてくるだけ!」
「ひどくね? 俺、ちゃんとお前の荷物持ってやるのに」
「それは応援用のグッズとか持ち帰るのが大変だからでしょ!?」
陽菜の反論に、俺は「え?」と首を傾げた。
「応援グッズ?」
「そうそう」
圭吾はふざけた口調で陽菜のバッグをポンと叩いた。
「試合前だから、陽菜は応援の準備してんの。で、それを家まで持ち帰るのが大変だから、俺が手伝ってあげてんの」
「そ、そういうこと」
陽菜はむすっとしながらバッグを抱え直す。
ふと気づけば、菜月がその様子をじっと見つめていた。
「なら、私も手伝うよ」
そう言って菜月が陽菜のほうへ歩み寄ると、陽菜は「えっ」と少し戸惑った顔をした。
「え、いいよ!? そんな、わざわざ……」
「いいって。試合前はみんなで頑張るんだから、マネージャーだけに負担かけるのも変でしょ」
菜月がそう言うと、俺も思わず「まぁ、俺も手伝うわ」と言葉を継いでいた。
「え、悠斗まで?」
「圭吾に全部任せると、あとで『俺が全部やった』って大げさに言いふらされそうだし」
「おいおい、信用ねぇな!」
圭吾が苦笑いする中、俺たちは自然な流れで四人で帰ることになった。
こうして、俺たちは学校を出た。
もともと、俺と菜月は一緒に帰ることが多いし、陽菜と圭吾も割とそういうことがある。
だけど、こうして四人で一緒に帰るのは、なんとなく新鮮だった。
駅へ向かう道の途中、圭吾が不意に口を開く。
「なぁ、陽菜。俺って、マネージャーからの評価どんな感じ?」
「は?」
「こうして荷物持ったりしてるんだから、そろそろ**『圭吾くん、優しい』とか言われる頃じゃね?」」
「いや、普通に感謝はしてるよ」
陽菜は淡々と答える。
「けど、それをいちいち言葉にしないとダメ?」
「ちょっと待て、それだと俺が『感謝しろ』って言わせてるみたいじゃん!」
「違うの?」
「違うわ!」
圭吾の必死な訴えに、俺と菜月は思わず笑った。
そんなふざけたやり取りをしながら、ふと菜月が何気なく陽菜の様子を盗み見る。
(……なんか、陽菜って、前より圭吾に対して優しくなった?)
これまではもっと遠慮なくツッコんだり、はっきりした態度をとっていたような気がする。
それが、今日はどこか柔らかいというか……。
(気のせい……かな?)
菜月は何も言わず、ただその様子を眺めながら歩き続けた。
こうして、四人での帰り道が続いた。
圭吾がふざけ、陽菜がツッコミ、菜月がそれを見て小さく笑う。
俺は――
(さっきの言葉、まだ引っかかってるな)
部活のやつらの、「付き合ってるの?」という言葉。
今まで、そんなこと考えたこともなかったのに。
「悠斗?」
ふと菜月の声がして、俺はハッとして彼女を見る。
「え、ああ、なんだ?」
「さっきから、ぼーっとしてる」
「え? いや、別に」
「そ?」
菜月は特に気にした様子もなく、また歩き出す。
その横顔を見ながら、俺はなんとなく落ち着かない気持ちになった。
――いつも通りの帰り道のはずなのに。
なんだか、少しだけ違う気がした。
四人での帰り道は、思った以上に賑やかだった。
圭吾が冗談を飛ばし、陽菜がツッコむ。
菜月がクスクスと笑い、俺はなんとなくその様子を見ている。
まるで、これがいつもの日常のように。
だけど、俺の心の中では、先ほどの部員たちの言葉がまだ引っかかっていた。
――「あの二人って、いつも一緒に帰ってない?」
――「付き合ってんの?」
(……なんで、そんなこと言われただけで、意識しちまうんだよ)
別に、菜月とは昔からの付き合いだし、ただの友達だろ。
それなのに、なんか変な感じがする。
「悠斗、さっきから黙ってない?」
突然、菜月が俺をじっと見上げてきた。
「え? いや、そんなことないけど」
「そう?」
菜月は特に気にする様子もなく、「ならいいけど」と軽く流した。
でも、その横顔を見て、また少しだけ落ち着かなくなる。
(……なんか、意識しちまってる? 俺)
こんなこと、今までなかったのに。
一方で、菜月は陽菜の様子をちらりと見ていた。
いつも通り、圭吾にツッコんでいるけれど、なんとなく柔らかい雰囲気がある気がする。
以前よりも、なんというか――自然に笑っているような。
(……まぁ、気のせいかな)
深く考えようとしたけれど、圭吾が突然、陽菜の持っている荷物をひょいっと奪った。
「ちょっ! 圭吾!?」
「はいはい、お前はもうちょっと楽しろっての」
「いや、別に重くないし……」
「でも、俺が持ちたいの。ほら、ありがたく思え?」
「はぁ!? 何その理論!」
いつものようなやり取り。
菜月はなんとなく笑っていたけれど、悠斗の視線が少しだけ気になった。
(……悠斗、なんでそんな微妙な顔してるの?)
一方で、悠斗は未だに自分の気持ちに整理がつかないままだった。
なんでこんなに菜月のことを気にしてるのか、自分でもわからない。
別にいつも通りなのに。
「悠斗?」
菜月の声がして、またハッとする。
「え、ああ、なんだ?」
「さっきから、ぼーっとしてる」
「いや、そんなことないって」
「ほんと?」
菜月は少しだけ首を傾げて、俺の顔をじっと見た。
その仕草に、また心臓が妙に跳ねる。
(……俺、菜月のこと、意識しちまってる?)
そんな考えが浮かんで、ますます訳がわからなくなった。
やがて、駅に到着する。
「じゃ、ここで解散か」
圭吾が言うと、陽菜が小さく頷いた。
「うん、みんなありがとね」
「おう、俺がいなきゃダメだろ?」
「はいはい、そうだね」
陽菜のその返しに、圭吾は少しだけ笑った。
その笑顔を見たとき、菜月はふと感じた。
(あれ、陽菜って……前より楽しそう?)
でも、それ以上深く考えず、「じゃあね!」と軽く手を振った。
駅で解散した後も、悠斗の頭の中はずっとモヤモヤしていた。
(……なんか変だ)
菜月とはずっと一緒に帰ってたし、別に今まで意識したことなんてなかったのに。
なのに、部活の連中の何気ない言葉が引っかかって、今日一日ずっと変な感じだった。
気づけば、スマホを開いて無意味にスクロールしている。
こんなときは、誰かと話して気を紛らわせたい――。
そう思い、軽くメッセージを送ろうとしたそのときだった。
「悠斗?」
不意に声をかけられて、顔を上げると、そこには菜月が立っていた。
「え、お前まだ帰ってなかったの?」
「いや、ちょっと買い物してたんだけど……悠斗こそ、なにしてんの?」
「別に、なんでもねぇよ」
「ふーん?」
菜月は少しだけ笑って、悠斗の隣に腰掛ける。
「今日、なんか変だったよね」
「え?」
「悠斗、さっきからずっとぼーっとしてるし。ていうか、部活帰りに一緒に帰るのを避けたの、初めてじゃない?」
「……いや、そんなことないけど」
「ほんと?」
菜月はじっと悠斗を見つめる。
それがなんとなく落ち着かなくて、悠斗はわざとそっぽを向いた。
「……お前だって、気にしてたんじゃねーの?」
「え?」
「部活の連中が、俺たちのこと付き合ってるみたいに言ってただろ」
「あぁ……あれね」
菜月はふっと小さく笑う。
「別に、気にしてないよ?」
「マジで?」
「うん。だって、付き合ってるわけじゃないし」
「……まぁ、それは、そうだけどさ」
悠斗はなんとなく返事に詰まる。
(菜月は、気にしてないのか)
なら、俺が変に意識する必要なんてない。
そう思うのに――なんで、こんなに胸がざわつくんだろう。
一方で、菜月も自分の気持ちを整理できずにいた。
確かに、悠斗とはずっと友達だった。
それが変わるなんて、考えたこともなかった。
でも、今日の悠斗は明らかにいつもと違っていた。
(……なんで、避けたの?)
それが、ずっと引っかかっていた。
「……悠斗」
「ん?」
「もし……もしだよ?」
菜月は少し言葉を選ぶようにして、続ける。
「もしさ……例えば、私が悠斗のこと、ちょっと意識してるとしたら?」
「……え?」
一瞬、時が止まったような気がした。
「ううん、そんなに深い意味はないんだけどね?」
そう言いながら、菜月はふっと笑う。
でも、その表情には、ほんの少しの恥じらいがにじんでいた。
無理に軽く言おうとしているのが分かる。
(……なんだよ、それ)
悠斗はドキッとした。
冗談のように言いながらも、菜月の指先が制服の裾をぎゅっと握っている。
まるで、自分の言葉を誤魔化すみたいに。
「えっ、それ……どういう意味?」
「さあ? どういう意味だろうね?」
菜月は、少しだけ顔を伏せる。
けれど、耳までほんのり赤くなっているのを、悠斗は見逃さなかった。
「じゃ、また明日ね!」
菜月はそれ以上何も言わず、軽く手を振って歩き出す。
悠斗は、しばらくその後ろ姿を見つめていた。
(……やべぇ、ほんとにわかんねぇ)
でも、一つだけ確かなのは――
――菜月の言葉が、頭から離れない。
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