
週末の午後。
ハンドボール部の練習試合が終わり、悠斗たちは体育館を片付けていた。
「ふぅ……今日も疲れたな」
タオルで汗を拭きながら、悠斗はベンチに座る。
圭吾が隣に腰を下ろし、ドリンクをひと口飲んだ。
「お疲れ~。お前、今日は結構点取ってたな」
「まぁな」
大和キャプテンも片付けを終え、「お疲れ」と声をかけながら近づいてきた。
「試合、いい感じだったな。特に後半、ディフェンスが機能してた」
「ですね! 悠斗も結構アシストしてましたし」
「お前が決めろって場面もあったけどな」
「そんときはお前がカバーしろよ」
「はいはい、エース様の指示には従いますよ」
悠斗と圭吾が軽く言い合っていると、不意に体育館の入り口から元気な声が響いた。
「悠斗先輩っ!!」
「……ん?」
次の瞬間――。
「わわっ!?」
悠斗に勢いよく飛びついてきたのは、天音莉央だった。
「うわっ!? びっくりした……!」
悠斗は、いきなり飛びつかれた衝撃で軽くバランスを崩しそうになる。
「もー、先輩冷たいですよ~! もっと嬉しそうにしてくださいよ!」
「いやいや、突然来てそれはねぇだろ」
悠斗は呆れながらも、莉央の無邪気な笑顔に苦笑する。
莉央は他校のハンドボール部に所属する後輩で、中学時代から悠斗に憧れているという、ちょっと人懐っこい系の女子だった。
「先輩、試合見てましたよ! 今日もかっこよかったです!」
「お、おう……」
「いやー、やっぱり悠斗先輩のプレーって最高ですね! 私、先輩みたいになりたいです!」
「お前、まず基礎練ちゃんとやれ」
「え~、私、頑張ってますよぉ?」
莉央がにこっと笑いながら悠斗の腕に軽くしがみつく。
その瞬間――。
「……」
少し離れたところで、菜月が体育館の片隅からその光景を見ていた。
(……なに、あれ)
遠目に見ても、莉央が悠斗にぐいぐい距離を詰めているのが分かる。
(ていうか、あの子……悠斗に抱きついてる?)
菜月は無意識のうちに、ペットボトルをギュッと握っていた。
「おっ、菜月、お前ちょっと顔怖いぞ?」
圭吾がひょこっと隣に来て、からかうように言う。
「は? べつに怖くないし」
「いやいや、どう見ても不機嫌そうだぞ?」
「……関係ないし」
そう言いながら、菜月は体育館の隅に視線を戻す。
莉央は相変わらず悠斗にべったりだ。
「悠斗先輩~! もっと優しくしてくださいよ~!」
「いや、お前が馴れ馴れしすぎなんだよ」
「いいじゃないですかぁ~。あ、そうだ、今度私の学校で練習試合あるんですけど、悠斗先輩、見に来てくれません?」
「いや、それは……」
「来てくれたら、めっちゃ嬉しいな~♪」
「……」
(うわ、めっちゃ積極的……)
菜月は何とも言えない気分になった。
べつに、悠斗が誰と話していようが、何をしようが関係ない。
(でも……なんか、モヤモヤする)
莉央の無邪気な笑顔。悠斗の困ったような表情。
それを見ていると、胸の奥が少しだけざわつくような気がした。
(……こいつ、相変わらずすげぇ距離感だな)
莉央はもともと人懐っこい性格で、中学の頃から悠斗に対してこんな感じだった。
でも、高校に入ってからは会う機会も減り、こうやって絡まれるのは久しぶりだった。
「先輩、もうちょっとリアクション取ってくださいよ~!」
「いや、俺は普通だろ」
「えー、もっと喜んでくださいよー!」
「……」
(いや、これ……どう反応するのが正解なんだ)
悠斗は内心困っていた。
正直、莉央の積極的な態度には慣れていない。
(ていうか、菜月とかも見てるんじゃねぇの……?)
ちらっと視線を向けると――案の定、菜月は少し離れたところでじっとこっちを見ていた。
そして、悠斗と目が合う。
(……うわ、なんか怒ってる?)
菜月は一瞬だけ視線をそらし、「知らない」とでも言うようにペットボトルの水を飲んだ。
(やべぇ……なんか気まずい)
「いや~、これは面白い展開になってきたなぁ」
圭吾がニヤニヤしながら悠斗の隣にやってくる。
「悠斗、モテモテだな?」
「うるせぇ」
「だってさ、莉央ちゃんにグイグイ来られて、こっちには菜月が『私、関係ないし』って顔してるけど、めっちゃ意識してる感じ」
「……関係ねぇよ」
「お前さ、ほんとにそう思ってる?」
「……」
(いや、分からねぇ)
悠斗は少しだけ頭をかきながら、莉央を見た。
「お前さ、俺の学校にまでわざわざ来なくてもいいだろ」
「えー、だって悠斗先輩に会いたかったんですもん♪」
「……」
(こういうノリ、どう返せばいいんだよ)
悠斗は頭を抱えながら、ちらっと菜月を見る。
(……あ、目そらされた)
悠斗は、妙な違和感を抱えたまま、その場に立ち尽くした。
「悠斗先輩、ホントに来てくれないんですかぁ?」
莉央が上目遣いで悠斗の腕を軽く揺らす。
「いや、お前の練習試合に俺が行ってどうすんだよ」
「応援ですよ! それか、アドバイスとか!」
「俺に言われてもな……」
「えぇ~、悠斗先輩の言葉なら、私めっちゃ頑張れるのになぁ……」
「……」
(こいつ、昔からこういうとこ変わってねぇな)
悠斗は軽くため息をつきながら、莉央の無邪気すぎる態度をどう処理すべきか悩んでいた。
そんなとき――。
「ねぇ、悠斗」
不意に、菜月の声がした。
「お、おう?」
悠斗が顔を上げると、菜月が腕を組んでこちらをじっと見ていた。
莉央と自分の距離感を確認したのか、一瞬だけ菜月の視線が鋭くなったような気がしたが――。
「片付け、手伝ってよ。私一人でやるの、大変なんだけど」
「……ああ、すぐ行く」
「ん」
菜月はそれだけ言って、体育館の隅へ戻っていった。
(……え、なんかちょっと不機嫌じゃねぇか?)
悠斗はそう思いながら、隣の莉央を見ると――。
「あれ~?」
莉央が何かを察したように、にやっと笑っていた。
「先輩、今ので何か感じませんでした?」
「……何がだよ」
「いやぁ~、菜月先輩、ちょっとムッとしてませんでした?」
「……気のせいだろ」
「ほんとに?」
莉央は悠斗の顔を覗き込むようにして、さらににやにやする。
「もしかして……悠斗先輩、菜月先輩のこと、ちょっと気にしてたりします?」
「っ……!」
悠斗は一瞬、返事に詰まった。
(気に……してる?)
いや、そんなことはない――はずだ。
でも、今の菜月の表情がなぜか頭にこびりついて離れない。
莉央はその悠斗のわずかな動揺を見逃さなかった。
「うわっ! 今の反応、絶対なんかありますよね!?」
「ねぇよ!」
「いやいやいやいや! ありますって!」
「……圭吾、こいつどうにかしろ」
悠斗は助けを求めるように、近くで見ていた圭吾に視線を送った。
しかし――。
「いやぁ、莉央ちゃん、いいとこ突くねぇ~」
「でしょ!? 先輩、最近菜月先輩といい感じって聞きましたよ?」
「誰情報だよ」
「いや~、もはや学校全体がそう思ってる説ありますよ?」
「……っ」
(学校全体……?)
悠斗はさすがに「それはねぇだろ」と思いながらも、なぜか心が落ち着かなかった。
一方で、体育館の端。
菜月はマットを片付けながら、莉央と悠斗のやり取りをチラチラと見てしまっていた。
(……ほんと、なんなの、あれ)
莉央の無邪気な甘え方。悠斗の少し困ったような顔。
いつもの悠斗だったら、「やめろ」って突き放しそうなのに、なんだかんだで相手しているのが気に入らなかった。
(別に、悠斗が誰と仲良くしようが関係ないし)
そう思うのに――モヤモヤする。
(ていうか、なんで私、こんなこと気にしてんの?)
自分で自分がわからなくなる。
「おーい、菜月」
突然、背後から声をかけられた。
「っ!」
振り向くと、そこには圭吾がいた。
「な、なによ」
「お前、めっちゃ片付けのスピード早くなってるけど、大丈夫?」
「……別に」
「いやいや、ちょっと雑になってるぞ?」
「……関係ないし」
菜月は視線を逸らす。
圭吾は、それを見てニヤッと笑った。
「なぁ、菜月」
「……何」
「お前、悠斗のこと――」
「は? ないから」
「……いや、まだ何も言ってねぇんだけど?」
「……!」
菜月はしまった、という表情をした。
そんな彼女の様子を見て、圭吾はさらに楽しそうに笑う。
「へぇ、面白いなぁ」
「なにが」
「まぁ、俺は見守るだけにしとくよ」
「……」
菜月は圭吾を睨みつけるが、彼はどこ吹く風で「頑張れよ」と軽く肩を叩いて去っていった。
帰り道――悠斗と菜月
片付けが終わり、悠斗と菜月は並んで帰ることになった。
普段なら気にせず会話をするのに、今日は妙に沈黙が続く。
(なんか……話しにくい)
悠斗は自分でも驚くくらい、菜月との距離が微妙に感じていた。
(莉央のこと、気にしてる……わけねぇよな)
けど、菜月が体育館で少しだけムッとしていたのが、頭から離れなかった。
「……お前さ」
悠斗は、思わず口を開いた。
「ん?」
「なんか今日、機嫌悪かった?」
「え? べつに?」
「……いや、なんか雰囲気違った気がするけど」
「気のせいじゃない?」
菜月はそっけなく言いながら、前を向いたまま歩き続ける。
悠斗は、その横顔をじっと見つめた。
(気のせい……なのか?)
でも、悠斗はもう、完全にはそう思えなくなっていた。
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