
「悠斗、ちょっとじっとして」
放課後の教室。
悠斗は席に座ったまま、少し前屈みになっていた。
「ん? 何だよ」
「ほら、髪にゴミついてる」
菜月がそう言いながら、ひょいっと悠斗の髪をつまんだ。
「え、マジ?」
「うん、じっとしててってば」
悠斗が動こうとした瞬間、菜月は少し身を乗り出した。
――距離が、近い。
悠斗の目の前に、菜月の顔があった。
(……ち、近すぎねぇか?)
菜月は特に気にする様子もなく、悠斗の髪を指で探る。
「えーっと……あ、あった」
ふわっと指が触れた感触に、悠斗は思わず肩をすくめた。
「お前、そんな気にするほどじゃなくね?」
「いや、意外と目立ってたし。……よし、取れた」
菜月が指先を軽く払う。
「ほら、オッケー」
「……サンキュ」
悠斗は少しそっけなく言いながら、なんとなく視線を外した。
(やべぇ、なんかドキッとした……)
菜月はいつもの調子で気にしてない様子だけど、悠斗の方は妙に意識してしまう。
「悠斗って、こういうとこ無頓着だよね」
「別にいいだろ」
「いや、身だしなみくらい気にしなよ。試合とかでも結構見られる立場なんだからさ」
「……そりゃそうだけど」
悠斗は髪を無造作にかきあげる。
「それより、部活そろそろ行くぞ」
「はいはい」
菜月は軽く肩をすくめて、自分のバッグを手に取った。
二人で教室を出る。
廊下にはまだ残っている生徒がちらほら。
「悠斗って、こういう時、全然気にしないよね」
「何が?」
「いや、男女でこうやって一緒に移動するとかさ」
「別に気にすることか?」
「まぁ、いいけどね」
菜月はどこか意味ありげに笑った。
(なんだよ、その笑い……)
悠斗はなんとなくモヤモヤしながら、階段を下りた。
体育館に着くと、すでに何人かの部員が準備を始めていた。
「おーっす、悠斗、菜月!」
圭吾がいつもの調子で手を上げる。
「お前ら、また一緒に来たの?」
「別にいいだろ」
悠斗が軽く返すと、圭吾はニヤニヤしながら近づいてきた。
「いやいや、俺、見ちゃったんだよね~」
「……は?」
「教室で、菜月が悠斗の髪触ってたの」
「……っ!」
悠斗は思わず顔をしかめた。
横を見ると、菜月は全く動じることなく、「ああ、ゴミついてたから取ってあげただけ」とさらっと答える。
「お、おう……」
悠斗の反応とは対照的な、菜月のあっけらかんとした態度。
「へぇー? でもさ、めっちゃ顔近かったよな? あれ、俺が悠斗ならドキドキするけど?」
「圭吾、お前、マジで黙れ」
悠斗は低い声で圭吾を制止するが、圭吾はニヤニヤが止まらない。
「いやー、悠斗も男だしさ、そりゃ意識することもあるんじゃね?」
「……」
悠斗はあえて何も言わず、さっさとシューズを履き替える。
「ま、菜月が全然気にしてなかったなら、問題ないか」
「うん、全然」
菜月が軽く頷く。
「……なぁ、悠斗。お前、それはそれでちょっと寂しくない?」
「は?」
「いや、ほら。男としてはさ、もうちょっとこう……特別扱いされたいっていうか?」
「意味わかんねぇ」
悠斗は呆れたように言いながら、ウォーミングアップを始める。
(ていうか、なんで俺がこんなことで悩まなきゃいけねぇんだ)
ふと菜月の方を見ると、彼女は普通に準備を進めている。
全く気にしてない風に見えるその表情に、悠斗は少しだけモヤモヤした。
練習が終わり、帰り支度をしていると、菜月がふと悠斗の方を見た。
「ねぇ、悠斗」
「ん?」
「今日さ、圭吾に言われたこと、気にしてる?」
「別に」
悠斗はそっけなく答える。
「そっか」
菜月はふっと笑った。
「悠斗ってさ、意外とわかりやすいよね」
「……何がだよ」
「まぁ、別にいいけど」
菜月は軽く肩をすくめ、バッグを持って立ち上がる。
「じゃあ、また明日ね」
「……おう」
悠斗は少し納得のいかない気持ちを抱えながら、菜月の背中を見送った。
教室でのあの距離感。
菜月は何とも思ってなかったのかもしれないけど、悠斗にとっては――
(……やっぱ、近すぎだろ)
自分の中で膨らんでいくモヤモヤをどうすることもできず、悠斗はため息をついた。
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