
部活終わりの男子部室。
蒸し暑い空気が残る中、悠斗は黙々と着替えていた。練習の疲れを感じながらも、次の試合に向けての調整は順調だった。
だが――。
「よし! 今日は恋愛会議を開催するぞ!」
唐突な宣言とともに、圭吾がドンっと自分のバッグを床に落とした。
「……は?」
「お前、また何言ってんだよ」
悠斗が呆れた顔で見ると、大和も苦笑しながらタオルで汗を拭いていた。
「いやいや、最近な、お前らの恋愛事情について俺、めっちゃ気になってるんだわ」
「知らねぇよ」
「ちょっとは興味持てよ! ほら、俺と大和キャプテンが聞いてやるからさ!」
「俺も巻き込まれてるのか」
大和が小さくため息をつきながらベンチに腰を下ろした。
「悠斗、お前さ、菜月とは最近どうなん?」
「は?」
突然の質問に、悠斗は一瞬動きを止めた。
「いや、どうなんって……何が?」
「お前ら、めっちゃ仲良いし、普通にお似合いなんだよなぁ~」
「……ただのクラスメイトだろ」
「でもさ、普通、男子と女子であんなに自然に話せるか?」
「別に普通だろ」
「いやいや、悠斗、もうちょい自覚したほうがいいって!」
圭吾がニヤニヤしながら肩を叩く。
「お前さ、気づいてねぇかもしれねぇけど、結構周りも『菜月って悠斗のこと好きなんじゃね?』って言ってるぞ?」
「……っ」
悠斗は、一瞬だけ息を飲んだ。
(そんなわけ、ない)
だけど、思い返してみると、菜月とはいつも自然に一緒にいることが多い。部活のことも話すし、教室でも普通に会話する。
(でも、だからって……)
「悠斗?」
沈黙した悠斗の様子を見て、圭吾が口角を上げた。
「……んだよ」
「いや~、お前、今ちょっと動揺しただろ」
「してねぇ」
「いや、してたね。わかりやすっ」
「うるせぇ」
悠斗はタオルを圭吾に投げつける。
それを軽く避けながら、圭吾は「ほら、やっぱり怪しい」とニヤニヤし続けた。
一方、その様子を静かに見ていた大和が、ようやく口を開いた。
「まぁ、圭吾がからかいたい気持ちはわかるけどな」
「お、キャプテンもそう思います?」
「……悠斗が鈍感すぎるのは、ちょっと問題だなとは思うけど」
「え、キャプテンまで?」
悠斗が信じられないという顔をするが、大和は淡々と続ける。
「試合と同じで、状況を俯瞰してみろよ。客観的に見て、悠斗と菜月は距離が近い。それは事実だろ」
「……まぁ、それは、否定しないけど」
「じゃあ、それをどう思うかって話だ」
「……別に、何も思わねぇよ」
「本当に?」
「……っ」
大和の落ち着いた声に、悠斗は微妙な表情を浮かべた。
そして、それを見逃さない圭吾が、すかさず口を挟む。
「おーっと、今ちょっと考えたな?」
「考えてねぇ」
「嘘つけ~! いや、これマジで菜月となんかあるんじゃね?」
「ねぇよ」
「でもさ、悠斗って、菜月以外の女子とはそんなに話さねぇよな?」
「……まぁ、それはそうかもな」
「ほら、確定じゃん!」
「何がだよ」
「悠斗、お前、菜月のこと気になってるだろ?」
「……気になる、かどうかは知らねぇけど」
「おお? ちょっと乗ってきた?」
「でも、俺には関係ねぇ話だろ」
「いやいや、関係あるっしょ!」
圭吾は満面の笑みで悠斗の肩を叩く。
「今後どうするか、ちゃんと考えといたほうがいいぞ?」
「……考えるも何も、何も起きてねぇからな」
「まぁ、今はな。でもさ、もしこのまま菜月が他の男に取られたら、どう思う?」
「……は?」
悠斗は、無意識に圭吾を見た。
「例えばだぞ? 菜月が、別の男子に告白されたり、他のやつと仲良くしてるのを見たら?」
「……」
想像してみる。
菜月が、他の誰かと楽しそうに笑っている姿。
(……別に、普通だろ)
そう思いたいのに、なぜか心の奥がざわつく。
――その違和感に気づいてしまった瞬間。
「……お前、今ちょっと動揺したな?」
「うるせぇ!」
「ほらやっぱり!」
悠斗は、ため息をついて顔を手で覆った。
「もういい、今日はこの話終わりだ」
「おっ、逃げるんすか?」
「逃げてねぇ!」
「でも気になってるんだな?」
「……黙れ、圭吾」
「はいはい、素直じゃないねぇ」
圭吾がニヤニヤしながら大和を見ると、大和は静かに笑っていた。
「まぁ、悠斗のことだ。そのうち自分で気づくんじゃないか?」
「キャプテン、なんか意味深ですねぇ~!」
「ただの予想だよ」
悠斗は、ため息をつきながら部室のロッカーを閉めた。
「もういい、帰るわ」
「じゃ、また明日なー!」
悠斗は無言で手を挙げ、部室を後にした。
扉が閉まると、圭吾と大和は顔を見合わせる。
「……で、どう思います?」
「まぁ……悠斗は、気づきかけてるんじゃないか?」
「やっぱそうっすよね!」
圭吾は満足げに頷いた。
「さて、次はどう仕掛けようかな?」
「ほどほどにな」
「キャプテンも結構楽しんでますよね?」
「……まぁな」
そんな他愛もない会話が続く部室で、悠斗だけが、帰り道の途中、妙な違和感を拭いきれずにいた。
翌日の昼休み。
悠斗は、いつものように弁当を広げていた。
部室での圭吾と大和との会話を、もう忘れたはずだった――はずなのに。
向かいに座る菜月の姿を、なぜか妙に意識してしまう自分がいた。
(……いや、別に何も変わってねぇだろ)
そう思いながらも、菜月が髪を耳にかける仕草、スプーンをくるくる回しながら考えごとをしている表情、ふと視線が合った瞬間に微笑む様子――。
(……なんだ、これ)
今まで何とも思わなかった光景なのに、やけに胸の奥がざわつく。
そして――。
「悠斗?」
「っ!」
突然名前を呼ばれ、悠斗は思わず肩を跳ねさせた。
「え、なにその反応」
「いや……なんでもねぇ」
菜月は不思議そうに首を傾げたが、それ以上は何も言わずに弁当を食べ始める。
悠斗は、妙な動揺を悟られないように、黙々と食べ続けた。
昼休みが終わると、圭吾がすかさず悠斗の肩を叩いてきた。
「お前さぁ、なんか昨日と様子違くね?」
「……は?」
「いやいや、なんかお前、今日めっちゃ菜月意識してたろ?」
「……別に」
「ほぉ~?」
圭吾の顔が、ますますニヤニヤと輝く。
「つーかさ、悠斗、昨日『関係ねぇ』とか言ってたのに、今日になったらめっちゃ気にしてんじゃん!」
「……気にしてねぇって」
「いやいや、気にしてるね」
「……」
悠斗は無言で立ち上がると、そのまま教室の外へと向かう。
しかし、すぐに追いかけてきた圭吾は、悠斗の耳元で囁いた。
「お前さ、今まで菜月のこと、なんとも思ってなかった?」
「……」
悠斗は、何も言えなかった。
放課後。
部活の終わり、悠斗はグラウンドの端で一人、水を飲んでいた。
すると、菜月が近づいてきた。
「悠斗、お疲れ」
「おう」
「ねぇ、今日さ……なんか変じゃなかった?」
「……変?」
「うん。悠斗、なんか妙にそっけないっていうか、考えごとしてるっていうか」
「……気のせいだろ」
「ほんとに?」
菜月はじっと悠斗を見つめる。
その瞳を前にすると、悠斗は何も言えなくなった。
(……俺、どうしたんだ)
昨日までと何も変わらないはずなのに。
いや、本当に何も変わってないのか?
「悠斗?」
「……いや、なんでもねぇ」
悠斗は目をそらしながら、ペットボトルの水を一気に飲み干した。
その後、悠斗と菜月は並んで帰ることになった。
いつも通りの帰り道。
いつも通りの会話。
でも、悠斗の中では何かが変わり始めていた。
「悠斗?」
「……ん?」
「なんか今日、いつもより静かじゃない?」
「……そうか?」
「うん。いつもだったら、もうちょっとふざけたりするのに」
菜月が小さく笑う。
「もしかして……圭吾に何か言われた?」
「……っ!」
悠斗は思わず言葉に詰まった。
「え、図星?」
「……ちげぇ」
「いやいや、絶対何か言われたでしょ!」
菜月が笑いながら詰め寄る。
「悠斗って、からかわれるとすぐムキになるよね」
「……そうかよ」
「そうだよ。可愛いとこあるじゃん?」
「……」
可愛い?
悠斗は一瞬、言葉を失った。
そして、次の瞬間――。
「おーい! 悠斗、菜月!」
遠くから、圭吾の声が響いた。
悠斗は思わず、「うわ、来た」と小声で呟く。
菜月も「うわぁ……」と苦笑する。
圭吾は軽く走って二人に追いつくと、ニヤニヤと笑いながら言った。
「お前ら、仲良く下校とかいいねぇ~!」
「うるせぇ」
「なんかいい感じじゃん?」
「……圭吾、マジで黙れ」
「はーい、すみません」
適当に謝るが、ニヤニヤは止まらない。
そして――。
「なぁ悠斗、お前、そろそろちゃんと認めろよ」
「……何を」
「菜月のこと、気になってんだろ?」
「……」
一瞬、沈黙。
悠斗は、答えられなかった。
隣を見ると、菜月も少しだけ視線を落としていた。
圭吾はそんな二人を見て、満足げに頷くと、軽く手を振った。
「じゃ、俺はこっちだから!」
そう言って、圭吾は別の道へと走っていく。
残されたのは、悠斗と菜月だけ。
少しだけ、気まずい空気が流れた。
やがて――。
「……悠斗?」
「……なんだよ」
「私のこと、どう思ってる?」
菜月が、静かに聞いた。
悠斗は、言葉に詰まる。
どう思ってる?
そんなの、今まで考えたことがなかった。
でも、昨日からずっと、心の奥で何かが揺れているのは確かだった。
「……わかんねぇよ」
悠斗は、ようやくそう呟いた。
菜月は、少し驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。
「そっか」
それ以上は、何も言わなかった。
そして、二人はゆっくりと歩き出す。
いつも通りの帰り道。
でも――。
悠斗の心の中には、確かに何かが変わり始めていた。
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