
「うわ、マジか……」
悠斗が空を見上げた瞬間、額に冷たいものが落ちてきた。
次の瞬間、ポツ、ポツ、と雨粒が地面に落ち始める。
「え、降ってくるの早くない?」
隣で菜月も驚いた顔をしている。二人は体育館を出たばかりだった。
部活終わり、外はまだ夕方の明るさを残しているものの、空はどんよりと灰色に覆われている。そして、一瞬の静寂の後――。
ザアアァァァァ……!
まるでバケツをひっくり返したような土砂降り。
「え、ちょっと待って、これヤバいって!」
「……マジで急すぎんだろ」
二人は慌てて軒下へと駆け込む。
「傘、持ってきてない……」
菜月が呟く。
「俺も。天気予報、外れたな」
土砂降りの音が周囲の雑音をかき消し、二人はただ雨を見つめていた。
しばらくして、悠斗が小さく笑う。
「……なんか、こういうのって、ドラマみたいだよな」
「え?」
菜月が顔を上げる。
「雨宿りってさ、妙に雰囲気出るっていうか」
「何それ、意識してんの?」
「いやいや、そういうんじゃなくて!」
悠斗が慌てると、菜月はクスッと笑った。
「まぁ……確かに、静かで落ち着くね」
雨音だけが響く静かな時間。
ふと、菜月が横目で悠斗を見る。
「そういえばさ」
「ん?」
「最近、練習のあと、いつも残ってるよね?」
悠斗は少しだけ間を置いた。
「まぁな」
「気になることでもあるの?」
「別に、大したことじゃねぇよ。ただ……」
悠斗は体育館の方へ視線を向ける。
「もっとプレーの幅を広げたくてさ。全国で勝つには、今のままじゃダメだと思ってる」
菜月はその横顔をじっと見つめた。
(やっぱり、真剣なんだよね)
彼のハンドボールに向ける情熱を、誰よりも近くで見てきた。
「悠斗は、すごいよね」
「……なんだよ、急に」
「本当にハンドボールが好きなんだなって」
悠斗は少し照れくさそうに鼻をこする。
「まぁ、嫌いじゃねぇな」
その時――。
雨音が一層強まり、二人は自然と沈黙する。
どこか気まずさを感じつつも、それが心地悪いものではなかった。
ふと、菜月が口を開こうとした瞬間――
「……お? 何してんの?」
背後からのんびりした声が響いた。
振り向くと、圭吾が悠々と歩いてくる。
「いや、見ての通り雨宿りだけど?」
「お前、帰らなかったのかよ」
「途中まで帰ろうとしたけど、あまりに降ってきたから引き返してきたんだよ。そしたら……おっと?」
圭吾は何かを察したようにニヤリと笑う。
「……なんか、いい雰囲気だった?」
「は?」
「え?」
悠斗と菜月がほぼ同時に反応する。
圭吾はニヤニヤしながら、二人の間にスッと入り込んできた。
「いやぁ、雨宿りってさ、なんか青春っぽくない? 二人で雨音聞きながら、静かに語り合ってたわけでしょ?」
「別にそういうんじゃねぇよ」
悠斗がすぐに否定するが、圭吾は「ふーん?」と納得していない様子でちらりと菜月を見る。
「菜月は? どうだった?」
「どうだったって……普通に雨宿りしてただけだけど?」
「ほら、やっぱ青春じゃん」
「どこがだよ」
悠斗が軽くため息をつく。
「てか、お前、なんでそんなにニヤニヤしてんだよ」
「いやぁ、ちょっと邪魔しちゃったかな~って思ってさ?」
圭吾がわざとらしく肩をすくめると、悠斗は呆れた顔をした。
「……お前、絶対わざとだろ」
「そんなことないよー? たまたま戻ってきたら、いい感じに二人が話してたってだけで」
悠斗がツッコミを入れようとしたその時、菜月がクスクスと笑った。
「悠斗、そんなにムキにならなくてもいいのに」
「……別にムキになってねぇし」
「ふーん?」
菜月の口元が楽しそうに緩んでいるのを見て、悠斗はなんとなく視線をそらした。
圭吾はその様子を見て、「おっと?」と反応する。
「なんか悠斗、ちょっと照れてない?」
「は?」
「いやいや、めっちゃ分かりやすいんだけど?」
「……もうお前、黙れよ」
悠斗はため息混じりにそう言いながら、窓の外を見た。
雨は相変わらず激しく降り続いている。
「まぁ、でもさ……雨、全然止む気配ないな」
「ほんとそれ」
圭吾がため息をつく。
「どうする? もうダッシュで帰る?」
「いや、これじゃ帰ったところでずぶ濡れだろ」
「うーん……」
圭吾が腕を組んで考えていると、菜月がふとスマホを確認した。
「天気予報だと、あと10分くらいで小降りになるみたい」
「お、マジ?」
「じゃあ、それまで待つか」
悠斗が言うと、圭吾も頷いた。
「ま、濡れるよりマシだしな」
雨音だけが響く空間で、再び静寂が訪れる。
悠斗が小さく呟く。
「……ま、たまにはこういうのも悪くないな」
「でしょ?」
菜月がニッと笑う。
「たまにはこういう時間も必要だよね」
「……まぁ、そうかもな」
悠斗が何気なく言うと、菜月は少し嬉しそうな顔をした。
その時――
「あ、やべぇ!!」
突然、圭吾が声を上げた。
「……何?」
悠斗と菜月が、同時に彼の方を見る。
「俺、さっき自販機でジュース買ったのに、そのまま置き忘れてきた!!」
悠斗があきれたようにため息をつく。
「お前なぁ……そんなの今さらどうでもいいだろ」
「いやいやいや、めっちゃ飲みたかったんだよ! ああー、マジでやらかしたー!」
圭吾は頭を抱えながら、傘も持たずに飛び出しそうな勢いで外を見た。
「おい、バカ、行くなよ。まだ小降りになってないぞ」
「俺の大事なジュース……!」
悠斗と菜月は顔を見合わせる。
「……ほんと、どうでもいいね」
「だな」
悠斗が呆れながら言うと、菜月はクスクスと笑った。
「圭吾って、ほんと変なとこだけ執着するよね」
「おう、褒めるな褒めるな」
「褒めてないんだけど?」
「……わかってるよ!」
圭吾が少し拗ねたように口を尖らせる。
その間にも、雨は徐々に弱まり、夕焼けが少しずつ顔を出し始めた。
菜月がスマホを確認しながら呟く。
「あと数分で止みそうだね」
「お、マジ?」
悠斗と圭吾も空を見上げる。
灰色の雲の間から、薄いオレンジ色の光が差し込み、湿った地面に反射していた。
「……雨、上がるな」
悠斗がぼそっと言うと、菜月がふっと笑う。
「なんか、あっという間だったね」
「そうだな」
悠斗が頷く。
「……意外と悪くなかったな」
菜月が横目で悠斗を見る。
「雨宿り?」
「まあ、それもあるけど……こういう、何もしない時間ってのも、たまにはいいかなって」
「悠斗らしくないね」
「うるせぇ」
悠斗は少し恥ずかしそうに目を逸らした。
そんな彼の様子を見て、菜月は小さく笑う。
圭吾が腕を組みながら呟いた。
「……なんか、お前ら二人ってさ」
「ん?」
「いや、別にいいんだけど。やっぱいい雰囲気だよな~って思って」
「は?」
「え?」
悠斗と菜月が同時に反応する。
「いやいや、俺、今めっちゃいいこと言っただろ?」
圭吾がどこか誇らしげに言う。
悠斗はため息をつき、菜月は少しだけ視線をそらした。
(……なんか、こういう流れになるの、最近多い気がする)
雨音はほとんど消え、涼しい風が吹き抜ける。
「……そろそろ行くか」
悠斗が言い、菜月と圭吾も頷く。
「おーし、じゃあ俺、ジュース探しに行ってくる!」
「いや、もう諦めろよ」
「諦めるわけないだろ! 俺の喉の渇きを満たすために!」
悠斗と菜月は再び顔を見合わせ、静かにため息をついた。
そして、三人はゆっくりと校門へ向かって歩き出した。
空はもう、すっかり晴れていた。
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