
バレンタインが終わって数日。
陽菜はいつも通り、部活の片付けをしていた。
この作業ももう慣れたものだ。黙々と水筒を片付け、タオルを畳み、ボールを整理する。
だけど、何気ない作業の中でも、時々ぼんやりと考えてしまう。
(……圭吾、あのチョコ食べたかな)
思い返すのは、あの日のこと。
圭吾はいつもと変わらない。
変に意識して気まずくなるわけでもなく、今まで通りの調子で話しかけてくる。
それが逆に、陽菜にとっては不思議だった。
(本当に何も気にしてないのかな)
そんなことを考えていたとき、ちょうど背後から軽い足音が聞こえた。
「お前さ、最近やけに機嫌いいよな?」
「……え?」
不意に声をかけられ、陽菜は思わず振り向く。
そこには、いつもの調子でニヤリと笑う圭吾が立っていた。
「な、なにそれ」
「いや、絶対なんかあっただろ~。まさか恋でもしちゃった?」
「はぁ!? してないし!」
陽菜は慌てて顔を背ける。
心臓が妙に早くなっているのが自分でも分かって、なんでこんなに意識してるんだろうと焦る。
「えー、怪しいなぁ~」
圭吾は軽く腕を組みながら、わざとらしく唸る。
すると、ふと陽菜は思い出したように尋ねた。
「……圭吾はさ、チョコ、ちゃんと食べた?」
「ん? そりゃあな」
「じゃあ、どうだった?」
自然に聞いたつもりだったのに、自分の声が少しだけ上ずってしまった気がする。
圭吾は一瞬「ん?」と眉を上げたあと、頭をポリポリと掻きながら答えた。
「まあ……美味しかったよ」
その言葉に、陽菜は思わず笑った。
「そっか、それならよかった」
「なに? 俺が変なこと言うとでも思った?」
「いや、そういうわけじゃ……」
陽菜が言いかけたとき、圭吾がふっと笑いながら、ふと遠くを見るような目をした。
「……ちょっと、びっくりしたけどな」
「え?」
思わず、陽菜は聞き返す。
「ほら、俺ってさ、冗談ばっか言うし、ちゃんとしたのもらうなんて期待してなかったし」
「……」
圭吾が何を言いたいのか分からず、陽菜はじっと彼を見つめる。
すると、圭吾は少しだけ笑いながら続けた。
「でも、食べながら思ったんだよな」
「何を?」
陽菜が問いかけると、圭吾はほんの少し、言葉を選ぶように口を開いた。
「……やっと、自分のこと見てくれたのかなって」
その瞬間、陽菜の呼吸が止まった。
(……え?)
思わず圭吾の顔を見上げる。
だけど、彼はニヤリと笑って肩をすくめるだけだった。
「でもその子、超鈍いからなぁ」
「鈍くない!!」
陽菜は思わず言い返していた。
なんで、こんなに胸がドキドキしているんだろう。
ふざけているように見えて、でも、圭吾の目は本気だった気がする。
(“自分のこと見てくれた”って、どういう意味?)
いや、そんなはずない。冗談だ。
でも――。
圭吾はおどけたように笑いながら、軽く手をひらひらと振った。
「とりあえず、来年のバレンタインも期待してるわ」
「はぁ!? 調子乗らないでよ!」
「お、ちょっと意識した?」
「してない!!!」
「まぁ俺はずっと待ってるけどな」
冗談っぽく言いながら、圭吾はくるりと背を向ける。
だけど、陽菜には分かった。
「ずっと待ってる」 という言葉が、本当は冗談じゃないことを。
いつも軽口ばかり叩いて、ふざけてばかりの圭吾。
でも、何気なく投げられる言葉の中に、本音が隠れているときがある。
(ずっと待ってる、って……)
陽菜は圭吾の後ろ姿を見つめながら、自分の胸の奥がざわつくのを感じていた。
(なんで、悠斗じゃなくて……)
(圭吾の言葉に、こんなにドキドキしてるんだろう)
それに気づいたとき――陽菜の中で、何かが少しずつ変わり始めていた。
その日の帰り道。
陽菜はふと、胸元に手を当てる。
圭吾の言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
最初は「またふざけてる!」って思ったのに、時間が経つと違って聞こえた。
――本当に待ってるんじゃないかって。
(……どうしよう)
まだ、はっきりとした答えは出せない。
でも、少しずつ変わっていく自分を感じていた。
そして――。
その日から、陽菜は圭吾のことを“意識せずにはいられなくなった”のだった。
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